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Professional Career Interview Ms.Azusa Miura

2021.02.02 | George&Company,Inc.

「人の為に役立つ事が出来るってその時思って、そしたら嬉しくなって」とその屈託ない明るい表情から紡ぎ出される言葉の数々は、使い古された杓子定規な言葉というより、周囲の空気を楽しい雰囲気に変えると同時に、信じる「何」かを「信じてくれている人達」の為に精一杯やり遂げようとする力強さを感じさせた。プロフェッショナルとして企業で数多くの実績を残すとともに、現在はフリーランスの人事コンサルタント、ベンチャー企業のCOO、話し方研究所の講師、駐在妻としての顔を持つ三浦梓さん。大学院を卒業後、リクルート、A.Tカーニー、起業及びフリーランスとキャリアの変遷をたどった彼女は、今なお自身の信じる未来を創る為チャレンジし続けている。

 

「仕事を生産的なものにするには、成果すなわち仕事のアウトプットを中心に考えなければならない。技能、情報、知識は道具にすぎない」

P.F. ドラッカー

 

|Pre Career

青山:キャリアの変遷の中で数々の実績を残すと共に、現在も幅広い仕事やプロジェクトを掛け持ちながら忙しくされていらっしゃいますね。子供の頃はどのような教育環境で育ったのでしょうか?

三浦:研究者の父と美容師だった母から産まれました。三人兄弟の真ん中で。子供の頃から図鑑や専門書等に囲まれていて、特に偉人伝のようなものを好んで読んでいたような記憶があります。両親共に私がやりたいと言った事をすべて応援してくれていました。母は私の些細な行動やプロセスそれ自体とかも褒めてくれましたし。父はどちらかというと研究者というのもあり結果を見ていたような感じがしましたね。いずれにしても自立を促すような家庭環境だったと思います。

青山:すごくバランスがとれていた感じですね。学生時代はどのように過ごされていたのでしょうか?

三浦:高校の担任の先生が一人一人の生徒をとても大切にする方で、人と向き合う姿勢にとても影響を受けたのを記憶してます。また、幼い頃より自分から積極的に手をあげてなんでも取り組むタイプではありました。

青山:例えば?

三浦:校長先生に直談判したり(笑)

青山:すごいですね(笑)

三浦:祖母を中学2年生の頃に癌で亡くしたのをきっかけに、癌を無くす為、薬の研究者になろうと高校三年まで目指していたんですよ。で、ある時大学の研究室が高校生にも門戸を開く体験プログラムを新聞で見て。応募の際に学校の推薦状が必要だったんで、翌日すぐに校長室に行きました。

青山:無事にそのプロジェクトには参加できたんですか?

三浦:無事受かって参加したのですが。ただやってみたものの、薬の研究という事で調合等細かい作業とかあるんですが、自分の性格は几帳面でなく向いていないなって気づいて、別の道を進もうってなりました(笑)。

青山:なるほど(笑) 大学時代の専攻は文系ですね?

三浦:とはいえ一度決めたことはやり遂げたい性格だったので、センター試験も国立理系として受けました。センター試験を受けた後にモヤモヤしていた時に政治家の土井たか子さんに出会えたことが大きいです。たまたま知り合いに誘われて応援演説に参加した時、彼女の言葉の力で周囲の大人を感化させる事の凄さを知りました。印象に残っているのは意見を表明する事は大事なので、自分の意見を持ちなさいといったお話しに、それまで自立して「人」の役に立とうと研究者を志していたのですが、言葉で人の役に立つ方法もあるんだと知り、同時に政治家という職業を初めて知るわけなんですね。それで、スパッと政治家になろう!と別の道が決まり、土井たか子さんが授業を持っている学校及び大学院進学で同志社大学を選びました。

青山:どんな大学時代を過ごされたのでしょうか?

三浦:会計士を目指すべく商学部へ入学したんです。残念ながら土井たか子さんは既に大学を辞められていらっしゃいましたが、院への進学を前提に授業を取っていて、大学2年生の時、ベンチャー起業論の授業で実務を通し活きたビジネスを学べる面白い授業との出会いがあったんです。それが同志社大学大学院商学研究科(京都銀行の元常務取締役)の田中譲先生のもので。先生が創られた新しいゼミの立ち上げに参画して。Newspicsの坂本大典君も後輩で。ゼミのみんなとは今も交友関係を持っています。現在、先生は86歳になられるんですが、この前もZoomデビューをみんなで手伝ったりと。

 

青山:とても家族的な信頼関係があるようですね。

三浦:田中先生からは本当に多くの事を学びましたから。

青山:先生から受けた影響はどんなものだったのでしょうか?

三浦:ある時、自身の人生設計の相談をしたら、10年単位でキャリアを決めた方が良いぞと仰られて。先生も当時60代でしたが、まだまだやりたい事があるんだというお話しをされ刺激を受けたのを覚えています。また、若い人を信じて導くという姿がとても素敵で。先日も「自分の人生にとって、君たち(教え子)と関わってきた時間が一番のかけがえのない時間だ」と仰って頂き、とても感動しました。

青山:すごく良いお話しですね。

三浦:また、私はもともと「人」の役に立つこと且つ影響力の大きい仕事をしたいという想いがあって、ゼミ経由で知った外資系コンサルティングファームを志望したんですが、当時、先生にリクルートを勧められたのも影響の一つでしたかね。

 

|リクルートでの三浦さん

青山:新卒でリクルートに決めた理由はどんな所だったのでしょうか?

三浦:内定を頂いた外資系総合コンサルティングファームとリクルートで悩んだんですが、人の魅力という所でリクルートを決断しました。

青山:最初はどのような業務に就かれたんでしょうか?

三浦:最初は新規開拓の営業でした。入社して半年間は色々苦戦したのを記憶しています。ただ、営業以外にもやりたいキャリアがあり、成果を残さないと発言権もないなと感じ、とにかく成果を上げることにコミットしました。その後、着実に成果を上げることが出来、表彰されるようになっていきました。

青山:何か印象に残ったエピソードはありましたか?

三浦:とにかく量をこなす事を意識した時期だったんですが、社内で人を巻き込む事も重要だというのを学びました。新人だったんですが日本を代表するIT企業へ提案をする機会を獲得したんですが、自分一人ではさすがに難しく。すぐにMP部(営業企画)のマネージャーに一緒に提案書を作ってもらえるように働きかけ、大型の提案案件をした経験から、人を巻き込むと大きい仕事になっていくんだなと感じました。同時にその頃から、自身の「弱み」を出すようになれた時期でもありましたね。

青山:つまりは?

三浦:いわゆる「優等生タイプ」だったんですよ。ただ、先輩方からも自分の弱みを見せることでもっと周りが助けたくなり、人を巻き込めるようになるからとアドバイスを頂いていて。そういった経験をとおして「弱み」を見せる事の重要性を認識しました。

 

|人生の転機 「人」と「成果」と「弱み」

青山:その後、情報誌MP部(商品企画)に移動し情報誌(住宅情報)も手掛けるようになりますね。その頃に準MVPも受賞されていらっしゃって。人生の転機があったようですが。

三浦:東日本大震災が大きなきっかけとなりました。今でもその頃のことは鮮明に憶えているんですが。当時担当エリアの仙台版の復興プロジェクトリーダーとして2011年4月の終わりにプロジェクトを立ち上げ、6月1日に情報誌を復刊させたんですね。

青山:すごいスピード感ですね。

三浦:印刷工場も止まっていて、新聞社ですら止まっていた時期だったんです。

青山:どのようにそこまで持っていったんでしょうか?

三浦:物理的にすべてが止まってしまっていて、困っている人が数多くいたからこそ、「人」の助けになりたい、こういった時期だからこそ「情報」を人々に届けたいという想いで必死でした。

青山:なるほど。仰る通りですね。共感します。

三浦:ゴールデンウィークの直前で社内稟議が下りたんです。それまで、「戸建て」と「賃貸」に分かれていたものを一冊の情報誌にする企画担当にも任命いただき、6月1日には復刊するスピード感で、営業、企画、制作、印刷、発行等を1ヵ月でやり遂げるというものでした。プロジェクトに関わる人数も150人ほど関わっていて、そちらを指揮するリーダーをやりました。

青山:一大プロジェクトですね。

三浦:復刊と同時に仙台市内の路上でその情報誌を配布をしていた時、住宅に関する事で困っていた方々からの多くの反響があったことは今でも忘れられません。ボロボロのスーツ姿の方が避難所に届けたいと仰って、大量に情報誌を持っていかれて。「僕たちはこういうのを待っていたんだよ」って、言ってくれて。泣きました。

事業としても1年間は赤字覚悟で組んだプロジェクトだったんですけど、復刊第一号から大幅な黒字化にもなり、反響数もギネスで、結果として準MVPを頂くことになりました。情熱が人の心を動かした結果なんだなと感じました。

青山:その後、人事へ移動されましたね。

三浦:気づいたら商品企画で表彰を受ける常連になっていて、企画をやる人材を育てる研修もやっていたりと、もちろんやりがいもあったんですが。人事をどうしてもやりたいという想いがあって。

青山:どのような想いがあったのでしょうか?

三浦私自身が人に助けられてきたというのが強かったですね。だからこそ人生に寄り添って向き合ってみる仕事をしたいなと。特に、新卒で入る会社は社会人の第一歩ですし、みんな迷うと思うんですよ。私も迷いましたし。

青山:実際、どうでしたか人事をやられてみて?

三浦「コミュニケーション力はないと思え」、これを一番に感じました。人事は新卒採用からスタートでした。具体的には会社説明会の企画担当や、東大や京大の学生さんたちを中心に私対学生さん3人での面談の日々を過ごしました。ただ、売り手の学生相手だったので振り向いてもらうのが難しかったですし、これまでのリクルートの看板や成功体験を伝えるだけでは彼らに会社の魅力がまったく響かなくて。

青山:なるほど。どのように成果を出していったのでしょうか?

三浦:すごくシンプルですが、「一人一人に向き合った」だけなんです。会社をピッチするというより、キャリアアドバイザーのように彼らと真剣に向き合いながら、自分自身をさらけだしていったんですよ。自分の挫折や失敗も含めて。彼らにとって人生の大事な時だから全力でぶつかりに行きました。そうしたら次第に心を開いてくれて。涙を流す学生さんも出始めました。私自身もよく見せようとする自分から脱却し、本当に成長をさせてもらいました。今でも感謝しています。

結局、仕事のために始めた事でしたけど、仕事でなくなっていく感覚がどこかあり。特に京都大学の学生さんが多く内定承諾をしてくれたので、大手総合商社からベンチマークされたり、内定者からも私のことを京都大学出身の人って勘違いもされたりと(笑)没頭していましたね。

青山:その後、中途採用も手掛けられましたね。

三浦:中途採用の頃は採用業務以外にも社内研修業務もやっていました。毎日深夜まで本当に働いていたな~っと。とても面白かったんです。紹介会社の方々が仲間になってもらう動きとか、採用プロセスでファン作りの仕組みなんかも手がけたりと。新卒採用も中途採用も、結局の所、人と向き合うのでどちらもすごく楽しかったです。即戦力採用も得意にもなりましたし。入社後の次世代リーダーも数多く採用出来ました。具体的には紹介会社の方々から月40名応募から月260名応募に増え、半年で6名採用が年間106名採用、量だけではなく質にもこだわった採用ができ、現場の部長やマネージャー陣と喜びました。彼らから現場の魅力や面接の振り返りなど日夜会話をさせていただいたことがあってこその成果です。

 

|組織と向き合う

青山:リクルートを辞められて、A.Tカーニーへ転職をされてますね。どういった経緯があったのでしょうか?

三浦:田中先生の10年軸でキャリアを考えるというものがキャリア観の根底にあったので、辞める2年前から外を見てみようと色々と準備をしていました。ですので、フリーランスの方々と関わりをもったりと、自身が興味のある講座でスキルを学んだりと。社外活動を活発にしてた時期ですね。退職後1か月半ぐらいはフリーランスだったんですが、とある転職サイトでA.Tカーニーから直接連絡があったんです。A.Tカーニーは田中先生のゼミでも会社見学をした想い出のある企業でもあり、運命を感じ、人事採用組織の責任者として入社いたしました。

青山:リクルートでの様々な経験が活きた感じだったんでしょうか?

三浦:ミッションがオペレーター業務のみの人事組織から戦略を考え実行する人事採用組織を作り上げるものでした。部下も持ち、新卒・中途(MBA採用含む)の採用戦略立案から、採用プロセスの仕組み作り、人事制度構築も含めたプロジェクト、次世代リーダーの選抜教育研修も含めて、様々な組織課題にぶつかったりと本当に学びが多かったですね。

青山:その後は、フリーランスとして数多くの仕事に携われていらっしゃいますね。これまでの会社員として働いていた時とどのような違いがあったんでしょうか?

三浦:最近ようやくですが経営の「視座」が分かり始めた感じがするんです。

青山:つまりは?

三浦:フリーランスになり多くの企業様と関わり合いを持つことや、経営者の方々と近い距離感で仕事をする中で、「経営者」の苦悩や葛藤、想いを直に感じ取る機会が増え、今までメンバーやリーダーでいた時には見えなかったものが少しづつ見え、感じ取る事ができるようになったのかなと。

 

|今後やりたい事

青山:今現在も相当忙しく過ごされている印象がありますが、今後はどのような事をやっていかれるんでしょうか?

三浦:夫の仕事の関係でブラジルに駐在をしていて、今はコロナショックの影響で一時的に帰国しているんですが、秋ごろに戻る予定なんですよ。ただ、現在、日本で進めているプロジェクトやオンラインで出来るものは引き続きやっていくつもりです。「駐在妻」のプロジェクトもそうですが、キャリアで困っている人の支援や、「人」軸からの組織課題の解決等が中心になっていく感じですかね。

青山:現在、どれぐらいのプロジェクトを抱えていらっしゃるんでしょうか?

三浦:15ぐらいですかね。タスク管理がだんだん大変になってきました (笑)

青山:秘書が欲しいレベルですね(笑)

三浦:さらに、今役員をしている株式会社TORCHで新事業を始めます。具体的には働きたい女性に働く機会を提供するためのオンライン転職塾を近々開講予定です。

青山:まだ、やるんですか!?すごいですね。

三浦:現在の転職市場において、3ヶ月以上の仕事の空白期間があると不利になる実態。空白期間が6ヶ月以上ある場合は書類選考すら通さない企業が多いです。そのような中でパートナーの転勤や子育てにより、3年以上空白期間がある女性がやっと働ける状態になり転職活動をした際に待ち受けているのは、人材紹介会社にも相手にされない、自力で活動をするも不採用通知が続くという過酷な現実です。結果、働けない自分に自信をなくして苦しんだり、空白期間を作ってしまった自分の人生を後悔する女性たちが多くいます。そこで私は空白期間に囚われず、女性が働きたい時にいつでも働ける社会を作りたいと考えています。そこでオンライン転職塾ではキャリア面談後、必要に応じて週2、1日4時間勤務といったプレ就業を行なってもらい、その後正社員、時短社員、業務委託、アルバイトなどの雇用形態選択から内定まで人事のプロが徹底的に伴走をします。決まった働き方に合わせるのではなく、自分で働き方を作っていける社会にし、女性が自分に自信をもち、子育てなど仕事から離れる機会への不安をなくしていくことを目指しています。

私自身、夫の海外赴任に帯同し専業主婦をしていた時期がありました。仕事から遠ざかるうちに仕事の感覚を失っていく自分に気づき、いざ仕事を本格的にしたいと思った時にできるだろうかという不安と自信を失いました。しかし主婦をしながら徐々に仕事を増やし、複業を行なっていくうちに自分のスキルや希望する働き方が明確になり今では海外に行く前より仕事を多く行なっています。

私は空白期間に囚われず女性が働きたいと思った時に働ける機会とスキルを身につけて欲しいと考えています。そのためにも今回のオンライン転職塾を通して、日本の人事部に空白期間がある女性が違う視点を持った即戦力になることを広めていき、空白期間3年以上の女性を採用したいとむしろ空白期間が強みになる世の中を形成していきたいです。

青山:ちなみに、まだまだやりたい事はあるんでしょうか?

三浦:そうですね。働きたい女性が働きたい時にいつでも働ける社会にしたいです。そのためにもいろんな事にチャレンジをしてみたいですね。TV番組のコメンテーター、政治にも興味ありますね、そして大学教授も。田中先生みたいに学生さんの人生の岐路に寄り添い、卒業後の実り多い人生を応援したいです。

青山:本当に多岐に渡りますね(笑)

三浦「人」の為になるなら、なんでもやりたくなるんですよ(笑)

 

三浦梓|人事プロフェッショナル 茨城県出身。大学院卒業後、株式会社リクルート(現リクルートホールディングス)に就職。営業、商品企画、人事と計10年勤務。退職後、A.T Kearney株式会社に人事責任者として就職。その後独立し、フリーの人事コンサルタントとして活動し、ベンチャー企業の経営陣採用や新卒、中途の採用設計から運用まで幅広く関わる。面接した人数は合計1万人以上にのぼる。また友人と会社を立ち上げ、株式会社TORCH COO就任。2020年1月末に夫の海外赴任に帯同しブラジルへ。現在は、世界中の駐在妻・元駐在妻・プレ駐在妻を応援し、共に成長するコミュニティ『駐妻キャリア net』の運営メンバーとして活躍中。転職ノウハウブログ『駐妻 本気の転職術』を執筆。話し方研究所プロフェッショナルインストラクター。慶應義塾大学大学院SDM研究科研究員在籍中。