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Professional Career Interview Ms.Mayo Suzuki

2021.02.04 | George&Company,Inc.

「向き合って、ぶち破いていかないとね。向き合って進んでくださいということですよ。乗り越えるためにあるの。危機とか難局というのは。」

―緒方貞子(元・国連難民高等弁務官)

世界で最も尊敬された日本人とも言われる女性だ。

緒方さんのその言葉を想起させるような幾多の試練を乗り越え、ビジネスと市民社会の懸け橋となり、地球上で起きている“ありとあらゆる今”を自分事として捉え、新たな“エバンジェリスト像”を描く一人の女性が、コロンビアのボゴタから世界に向けてビジネスと市民社会を繋げる為に発信し続けている。鈴木真代さんがその人だ。

 

鈴木さんは津田塾大学卒業後、東京電力に入社。新興国での省エネ対策策定や再生可能エネルギー事業の環境社会調査を担当した。2011年3月の東日本大震災後の福島原発事故関連には緊急対策本部や海外広報に従事したことで、“CSR(企業の社会的責任)を自分事として理解”するようになる。

2014年1 月よりデロイトトーマツコンサルティング合同会社に転職後、「CSR・SDGs推進室」の立上げ、人権尊重型のマネジメント手法や、企業と国連・NGOの連携支援、その他サステナブル経営戦略策定支援に携わる。

2017年よりパートナーの海外赴任をきっかけに、ラテンアメリカに居を移し、フリーランスに転向。現在は南米コロンビア在住。現地大学院にて、平和・紛争解決学の修士課程に在籍し、コロンビアの紛争を「ビジネスと人権」の視点で研究中。

看護師である母からホスピタリティの精神を受け継ぎ、母の何気ない一言が世界で活躍する女性に興味を持たせる。社会人となり、理想のビジネスキャリアを追い求めた先に、待ち受けていた試練とアイデンティティの崩壊。その後、ラテンアメリカへの移住と同時にフリーランスとしての活動を通じて、コロンビアで改めて気づく“市民社会”とは。自身では到底コントロールできない幾多の困難な環境が、“人間(ひと)”に向き合わせている原動力なのかもしれない。

彼女が持つ親しみやすい明るい人柄の根底は、“人と人との懸け橋”になることで、複雑な世の中を統合させ、課題をひも解く手がかりとなる確信的な姿勢なのかもしれない。そして、その根底にあるのは“普遍的な人へのやさしさ”なのだろう。

 

|Pre Career

青山:本日はお時間を頂きましてありがとうございます。バーチャル背景の街並みは、ボゴタ(コロンビアの首都)の街並みですか?変わったデザインのビルもありますね。

鈴木真代氏(以下、鈴木):そうです、そうです。ボゴタの中心部のオフィスビルが並ぶ風景です。ラテンのモダンなデザインって結構珍しいかもしれませんね(笑)アンデス山脈の標高2,600mのところに住んでいるので、いつも空が近く感じます。

青山:なるほど(笑)ご経歴を拝見させて頂きましたが、現在、様々な活動をされていらっしゃいますね。

鈴木:そうですね、色々なことに興味を持って突き進んでいく性格なんです。現在の専門は“ビジネスと人権”で、なかなか解決出来ない社会課題を如何に解決していくかといったものです。

青山:生まれも育ちも北海道でしょうか?大学は津田塾大学のご出身ですが、どういった理由から選ばれたのでしょうか?

鈴木:生まれは札幌ですが生後7か月で仙台に引っ越して、小学校1年生まで住んでいました。7歳の時に母の地元の北見に引っ越し、その後、千葉の船橋に引っ越したのですが、両親の意向で中学、高校は札幌で過ごしました。そんな経験からか、引っ越しが多かったので、フットワークはだいぶ軽いです(笑)

当時、東京の大学を選んだのも、札幌から出たかったというのが本音です(笑)ただ、幼少期、中学・高校もカトリックの女子高で、親を説得するのに寮のある学校で、というのもあり津田塾大学に決めました。でも16歳の時に音楽に目覚めて、フジロックや洋楽のライブに行きたいというのもありましたね(笑)札幌には海外アーティストが来ないので、友人と札幌からフェリーでどうやって行けるか、画策したぐらいですから。

青山:それはすごいですね(笑) 専攻は国際関係学科ですね。国際関係に興味を持っったのはなぜでしょうか?

鈴木:正直、世の中の事を何も知らなかったんですよ。その頃は海外で働きたいと漠然と考えていました。ただ、大学に入ってから、「早く一般企業に就職して自立しなくちゃ」という意識に変わりました。

青山:海外で働く日本人女性といえば、当時、緒方貞子さんは世界中で取り上げられていましたね。

鈴木:私も母も、よくテレビに出てくる緒方さんを見て、憧れていましたね。母は自分も海外に行きたかったらしく。昔、看護師の研修で海外に行った経験もあるみたいでして。ひょっとすると、その夢を託されたのかもしれないですね。

ただ、私自身も、小学1年生の頃、ソマリア難民の為に路上に立って募金活動をやったり、中学生の時に北朝鮮の難民問題を探究していた時期があったり、高校生の時に9.11が起きて国際関係学を学びたいと思ったり。実体験として海外の大きな問題と自分のつながりを考える機会はありました。あと、幼稚園からカトリックの学校だったので、“人ごとにしちゃいけない”と色んな場面で教えられていたと思います。

青山:ちなみにどんな音楽を聴かれていたのですか?

鈴木:レッチリ、ニルバーナ、レディオヘッド、リンキン・パーク等、ヘビーメタルやロックですね。今でも一人で聞いていますね。ぼーっと音を聞くのが好きで。

ただ、当時は音が好きで聞いていましたが、最近のアクティビズムの活動を通して、世界に絶望していると“この音になるよね”って、わかる感じがします。特に、ラテンアメリカでも、音楽やアートを通じたアクティビズムが定着しているので、コロンビアでも新たに刺激を受けています。

青山:国際関係学科で学んだ学問とは、どのような内容だったのでしょうか?

鈴木:フィールドワークを含めた現場での実務を大切にし、様々な学問や新しい領域を織り交ぜていく学際的な分野です。経済学、政治学、法学等、色々な理論から見える課題を実務的な課題と照らし合わせ、それらを解決するために、セクターを超えて、専門家と専門家を繋いでいかないといけないんです。そのためには、全体を見て動ける人になることが大事で。そういう思考は、アカデミックに限らず社会で使える思考であって、これからの時代は特に必要となってくるなと感じていました。

大学の論文は、自分がこれからの人生で関わりたいことを形にしようと思っていたので、NGO、国連、各国の政府、企業等をどのように繋いでいくか?というテーマだったんですが、国連が立ち上げたグローバル・コンパクトというイニシアティブを知って、これからは国の枠組みを超えたこういったイニシアティブが必要だし、これまでに無い可能性を持っているとも感じてました。

最近では、SDGs(持続可能な開発目標)のような国連のアジェンダにおいて、企業の役割が重要視されてますよね。企業側としても複雑な課題を解決するためには、ソーシャルセクターと一緒にやっていくのが重要だし、繋がっていない人同士、つまり、セクターを超えて個人同士をどのように繋げていくか、これがもっと必要になると思うんです。

どこか企業に属していると見えない部分もあるので、今、フリーランスとして組織と距離を置いている方が全体感が見える時もあるな、と思います。

 

|キャリアとアイデンティティの崩壊

青山:新卒で東京電力株式会社にご入社されていますね。

鈴木:その時は女性が長く働けて、活躍できる会社を中心に選んでいました。3人ぐらい子供を産んで、経営層になりたいと思っていて、同期とも会社のことやキャリアについて夜通しで語っていましたね。身近に女性管理職のロールモデルもたくさんいて、自立した女性像を持っていました。希望した国際部に異動できた時は、泣いて喜んでいました(笑)

青山:ちょうど異動して間もない入社3年目で、東日本大震災が起きて、渦中の企業となりましたね。人生の分岐点だったのではないかと感じますが。

鈴木:正直、アイデンティティが崩壊する経験でした。TVや新聞の報道を見ていてもあからさまなバッシングが続いてましたし。周囲でも退職する人も増えたりと。入社3年目でしたが、社内の環境もがらりと変わってしまいました。(その影響を受けて)母も体調が悪くなり、私ならまだしも家族まで体調を崩すまでになったので、心配をこれ以上かけたくないという気持ちで、かなり思い悩んだ時期でもありました。

青山:非常に過酷な経験ですね。その後、外資系コンサルティングファームへご転職されますね。

鈴木:家族のこともあり、ODA等の官公庁向けの海外事業の経験を活かせるというのもあって、デロイトトーマツコンサル合同会社へ転職しました。

最初は知り合いも少なく、戸惑いもありましたが、社内勉強会を毎月開催し、トーマツグループ全体で50人ぐらい集め、「社会課題をビジネスでどのように解決していくか」という議論を重ねる取り組みをしていました。こうした同じ志を持つ方と前向きな議論をしていくのが好きで。コミュニティづくりが好きなんですよね。

その後、SDGsを社会に浸透させ、企業の経営者にも啓発していくために、新しい部署を立ち上げることになり、喜んで参画しました。この時“ビジネスと人権”の領域のプロジェクトに本格的に携わるようになりました。

青山:当時のご経験が鈴木さんのプロフェッショナルキャリアの転機となった印象もありますね。

鈴木:そうですね、現在の専門家としての礎が出来ました。また、コンサルをしていたので、様々な方から個人的な相談があったり、ビジネス以外にもソーシャルセクターの方々含めて人脈が広がっていきました。

青山:ビジネスにおける人権を意識する事とはどういう事でしょうか?海外に移住してからはなおさら強く感じるようなったようですが。

鈴木:そうですね、例えば英語だとjustice(ジャスティス)で、スペイン語だとjusticia(フスティシア)って言うのですが、コロンビアにいると毎日のように聞く単語なんですよね。当然ですが、自分の生活や命に関する権利をどう守っていくかがとても重要なので、市民が結束して主張しますね。一方、日本にいると自分がなんの権利を持っているのか分からない状態だったりと、労働者の権利や民主主義って何なのか?わからなくても生きていけるっていうのが、日本のように感じます。まさに平和ボケ、と言われても仕方ないような。コロンビアでは、世界一の格差社会と言われるほど富裕層と貧困層の格差が激しいですし、紛争中に強制的に移住した国内避難民もいますし、今でも政治家や環境活動家などが殺害される事件多く、毎日のようにデモに遭遇すると、今までなんて狭い世界で生きていたんだろうなと感じたりします。

また、ビジネスで人権を語る場合でも、例えば“サプライチェーンで人権侵害が起きました、それならばテクノロジーで解決しよう”とさらっと言う企業があったりするんですが、そもそも、その仕組みを作る経営者、技術者、企画者に「倫理観」がないと解決出来ないんですよね。結局、倫理観がない中でテクノロジーが独り歩きするだけになりますから。だからこそ、人の思考や哲学に結局行き着くので、人権といっても法律分野の専門家であればいいというわけではなく、どんどん新しく登場するテーマに合わせて、どんな風に人権を尊重する枠組みが適切か、カスタマイズしていく力が必要だと感じています。非常に難しい分野でもありますが、意外と日本だと、テクノロジー優先で、そういった事を声を荒げて言う人がいなかったりしますね。

青山:なるほどですね、とても納得できます。

 

|コロンビアに来て想う事、そしてこれから・・・

青山:鈴木さんのこれからの活動を教えてください。

鈴木:大学時代から一貫しているのは“知らない人同士を繋げていく事”ですね。元々ビジネスの世界にいましたが、直近の3年ほどはソーシャルセクター(市民社会)に身を置いているので、今後はどのように(市民社会を)ビジネスと繋げていくかを考えています。

また、現在はコロンビアにいますので、ラテンアメリカの歴史と社会課題を現場感覚をもって吸収し、“ビジネスと人権”に関するプロフェッショナルとして、日本向けに発信をしていこうと思っています。もっとラテンのノリに馴染み、顔やしぐさもコロンビア人みたいになりたいですね(笑)

“サステナビリティ”って時代によって課題も解決策もどんどん進化していくんです。いろんな知恵を振り絞って、複雑な課題をひも解いて、策を生み出さないといけないんですよね。これまで好奇心のまま動いてきましたが、その性格が生かせる領域だと考えています。

青山:是非、拝見させていただきますね!コロンビアにいるがゆえに感じる事はどんなことがありますか?

鈴木:SDGsもそうですけど、コロンビアにいると地球を壊してきたのは先進国ですよねっ!?というのを感じたりしています。日本は先進国で、経済大国で、世界中からモノを輸入する消費大国である限り、この責任は問われ続けると感じます。

元々、SDGsは“コロンビアの外務省の職員が世界に提唱した概念”なんですよ。発展途上国側が議論をリードするためにコロンビアが中国やインド等を巻き込んでいったんですが。ただ、日本にいるとSDGsのそういった本質が伝わっておらず、ビジネスの機会としてキラキラしたイメージをもってしまう人が多いですね。例えば、コロンビア人と議論していると、先進国の私たちが持つ平和へのイメージと、コロンビアの人たちが持つ平和のイメージが違いすぎると感じます。コロンビアのように平和に対して希望を持てない、という次元で考えたことがある日本人、どれくらいいるでしょうか。

また、コロンビアですと、思想家や哲学者がとてもリスペクトされていますね。一番優秀な大学の学長が哲学出身だったり、そういった方は数学、物理学、その他の学問も学んでいたりと。そんな風に人間としての哲学を高めていくのはとても良いなと感じます。こちらですと、そういった方が政治家になっていくので、日本とは異なるなと感じますね。

青山:将来的には政治に関わりたいという想いはあったりしますでしょうか?

鈴木:皆がかしこまらず気楽に政治に参加するような世の中になると良いなと感じてます。コロンビアに来てから、民主主義に関して考えたり、政治に関して議論する場が増えましたので、選挙の時期だけじゃなく、さまざまな場面で政治を語る場を作っていきたいなと思い、最近ではコロンビア人の学生と日本人の学生がオンラインで政治的なイシューを語る場を運営しています。どんな場面でもアカデミックな視点、政策的な視点、ビジネスの視点が必要なので、今後も多様な視座を持ち続けたいと考えています。

青山:今年、新たに取り組みたい事はありますか?

鈴木:今年は、企業の人権侵害に関する補償スキーム、アクティビズムについてコロンビアを中心としたラテンアメリカの事例を日本社会にインプットできたらな、と考えています。その他、テック系の技術を紛争影響の受けた人々にエンパワメントするために活用するビジネスモデルや、女性として、駐妻として、コロンビアに住む日本人として、先進国の人間として、消費者としてもたくさんの声を発信していきたいと考えています。

青山:とても意欲的で素晴らしいですね。

鈴木:流れに身を任せて、ピンときたらすぐ行動ですね。知り合いや友人との対話の中から、“これやりたいな”という事がよくあって。

青山:なるほどちなみに鈴木さんがこれまでの人生を通しての挫折経験で、どういったものがあったのでしょうか?

鈴木:う~ん・・・いっぱいありすぎてわからないです(笑)いずれにしてもすべて受け止めてしまうんですよ。ボコボコにされるのが好きなのかもしれないですが(笑)ただ、辛い場に身を置いていたほうが人としてより成長もしますし。たとえ何か困難な事があったとしても、そういう困難があっても良いかなと思いますので。

青山:これまでの一連のお話しをお伺いしてると、今が一番楽しそうですね!?

鈴木:楽しいですよ!!昨年も大学生とお話しする機会があって、彼らにも打ち明けられる仲間がいない場合があったり、こちらも悩みを共有したりと、次世代の新しい考え方を吸収したのは新鮮な体験でした。

ですので、常に人と出会いたいと思っているので、こんな人間に興味があったらいつでも連絡ください(笑)

 

鈴木真代|津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。2008年に東京電力株式会社に入社。新興国政府をカウンターパートとするJICA(国際協力機構)の案件で、省エネ政策や再生可能エネルギー事業の政策設計及び環境社会調査を担当。その後、デロイトトーマツコンサルティング合同会社に参画後、環境政策調査やISO関連業務に従事し、2016年5月に「CSR・SDGs推進室」を立上げ、人権尊重型のマネジメント手法や企業と国連・NGOの連携支援、その他サステナブル経営戦略策定支援に携わる。2016年には一般社団法人グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン(GCNJ)のWEPs(女性のエンパワメント原則)分科会の初代共同幹事。2017年よりパートナーの海外赴任をきっかけに、ラテンアメリカに居を移し、フリーランスに転向。メキシコシティを経て、現在は南米コロンビア在住。現地大学院にて、平和・紛争解決学の修士課程に在籍し、コロンビアの紛争を「ビジネスと人権」の視点で研究中。ビジネスと人権に関してセクター間の架け橋を作るSocial Connection for Human Rights共同代表、女性のキャリアをエンパワメントする駐妻キャリアnet運営担当、海外経験をもとに日本の政策のアップデートを目指しロビー活動を行うGlobal Career Women共同代表、日本語学習者と日本語母語話者がオンラインで平和を語るダイアローグス・フォー・ピース/Diálogos para la paz共同代表、自己革新プログラムProject MINTの専属コーチ、ITを使って創造的に社会をアップデートするCode for Japan」STO(Social Technology Officer)事務局員 他。

・Photo by Jorge Gardner on Unsplash

・Photo by Random Institute on Unsplash